彼岸になるとお墓参りに行く家庭は多く、当たり前のことだと認識している方もいます。
お彼岸には春彼岸と秋彼岸があり、合わせて年に2度ほど「彼岸」があります。
お彼岸に墓参りに行く行為は仏教中心の考え方です。
ただ実はお彼岸に墓参りをすることは日本オリジナルの考え方である上、仏教が伝わる前から根付いている行為にです。
こちらでは彼岸の思想が始まった由来や、定義、マナーなどをまとめていきます。
概要
お彼岸には季節があり、春と秋の年に2回墓参りをする方が多いのが特徴です。
彼岸の日は春分・秋分の日を中心として考え、前後3日間ずつを彼岸としています。
その日にちの間なら、どこで墓参りをしても良いとされています。
彼岸の初日を「入り」、春分・秋分の日そのものを「中日」、最後の日を「明け」と呼びます。
やはり中日は墓参りが混む場合が多いので、日をずらしていく方も多いとされています。
彼岸には供物や供花を用意し、必要であれば布施なども持参します。
彼岸の仏教的な本来の意味を解説
彼岸とは墓参りをする時期のことを指すわけではなく、本来は「悟りを開いた世界」、「苦しみの無い世界」を表現しています。
死者がたどり着く三途の川を挟んだ人間界を「此岸、」川向うを「彼岸」と呼び区別しています。
仏教では三途の川を軸にし、苦しみや悩み、煩悩から解放された世界のことを「彼岸」と呼んでいます。
生きている者が考える彼岸とは、仏教でいう浄土の世界ということになるのです。
春分&秋分の日が彼岸である理由を解説
仏教の思想の中で「彼岸」という言葉の意味はわかりましたが、どうして春分の日と秋分の日を彼岸と考えるようになったのかが重要です。
仏教では、「西方極楽浄土」という言葉があります。
西側に極楽浄土があるという考えから、西を向いてお参りをするのが良いとされているのです。
ちょうど春分の日と秋分の日は、日照時間がほぼ同じです。
しかもこの時期は、太陽がまっすぐ西側に沈みます。
そのために仏教的に極楽浄土をイメージでき、彼岸に通じるものとなったのです。
春分・秋分の日は「あの世とこの世の境目が最も近づく日」、とされたと言われています。
特別に太陽の沈む方角が西になることで、先祖の霊や故人だけではなく、祈る遺族側もまた幸せになれると考えられたとの説も有力です。
もともと墓参りは仏教が伝来する前から行われていましたが、そこに西方極楽浄土の考え方と祖先を供養する日本人の信心深さが混ざり合い「お彼岸」という墓参りのシーズンを作りあげることになったのです。
仏教を信仰している人が多い国は他にもたくさんありますが「彼岸の墓参り」という発想は独自だとされています。
春分の日・秋分の日は、日本の祝日の日に制定されています。
それぞれの日に意味がありますので、以下でご紹介します。
- 春分の日…自然を大事にして、生物を慈しむ日
- 秋分の日…祖先の霊や故人を敬し偲ぶ日
彼岸会の意味とお供え
彼岸の時期には寺でも「彼岸会」という行事を執り行います。
仏教行事であるので大体、菩提寺のどこでも行っています。
もともとは浄土教の教えである「西側に極楽浄土がある」という考えで、彼岸会法要を執り行います。
現在でも宗派問わず、基本的にお彼岸というものを特別に扱っているとされています。
また彼岸の墓参りでは供物を持参する方が多いですが、季節により変えるのがおすすめです。
春季は「ぼたもち」、秋季は「おはぎ」などが良い例です。
ただし現在寺や霊園の規定により食べ物が禁止の場合もありますし、不安な方は直接問い合わせるのが無難です。