「如月」、これはすぐに何のことかわかる人が多いでしょう。
いうまでもなく2月の別名ですが、本当の意味を知ってみると、少し事情が違うようです。
また本当は如月と書いて「きさらぎ」と読むわけではないようです。
ほかの月に比べて、2月は少し短いというだけで、すぐに過ぎ去ってしまう特別な感じがする不思議な月です。
今回は、そんな不思議な2月の別名、如月の意味や主な行事について解説します。
如月について知ってみると、きっとなるほど、と納得できますよ。
知ってみると納得!「如月」の本当の意味と由来!
如月は旧暦の2月を意味しているため、今の暦の2月とは少しズレがあります。
旧暦とは明治になるまで日本で使われていた太陰暦を意味しています。
明治に入ってから現在まで使われている、現在の暦は太陽暦といいます。
太陰暦と太陽暦は1年の日数を決める基準が違うために、
1年の日数が違います(太陰暦は354日、太陽暦は365日)。
旧暦の2月は春分を含む月で、現在の暦では2月下旬から4月上旬に当たります。
現在の2月のことを如月だと考えるのは、少し無理があるようです。
如月はもともと中国で2月を意味していました。
この如月をきさらぎと呼んでいたわけではありませんでした。
日本の2月の名前であるきさらぎにはいくつか由来があるようです。
まだ寒さが残っている頃なので、衣を重ねて着なくてはならないから「衣更着(きさらぎ)」とする説、
草木の芽が張り出す月なので「草木張り月(くさきはりづき)」がきさらぎとなったとする説、
陽気が更に来る月なので「気更来(きさらぎ)」となったとする説などがあります。
確かに暖かくなったと油断していると、もう1度コートを引っ張り出したくなる日がやって来るのが、春先の気候の特徴のように思えます。
草木の芽が張り出す月というのも、春になって動植物が生き生きと活動し始める様子を陽気が更に来ると表すのも、
春先の特徴をよく表しています。日本独自のきさらぎが、中国の如月と結びついたのでしょう。
また風流な別名として「梅見月」や「雪消月」などがあります。
旧暦の2月は積もっていた雪も消えて、梅の花が見頃になるということがよくわかりますね。
「如月」の主な行事はコレ?「立春」と「節分」
立春は二十四節気の一番目で、名前の通り、その日から春になるという、季節の変わり目を意味しています。春といっても私たちが今思い描く春とは違い、
この立春は新年を迎える日です。つまり立春には元日という意味があったのです。
節分は立春の前日に行われますから、これは大晦日ということができます。
本当は立春のほかにも季節の変わり目があるため、節分も年に4回ありますが、現在行事として知られているのは2月の節分だけです。
これはやはり2月の節分と立春が大晦日と元日という年越しの儀式だったために、ほかの節分よりは盛大だったためではないかと思われます。
江戸時代には、節分といえば2月の立春の次の日のことを意味するようになっていたようです。
かつて季節の変わり目には鬼が出ると信じられていたために、平安時代には季節が変わる日の前日(つまり節分)に鬼を追い払う儀式ができました。
これが室町時代以降には、豆を撒いて鬼を追い払う儀式、「豆まき」へと変化したのです。
豆まきには大豆をよく炒って使いますが、これはよく炒ることで豆の芽が出ないようにするためです。
鬼を追い払うための大豆から芽が出ることは、もう1度悪の芽が出るといって縁起が悪いとされました。
また豆が「魔目」に通じるため、ぶつけると鬼の目が潰れる、「魔滅」に通じて鬼を滅ぼすなどとも信じられていました。
豆は小さな穀物ですが、昔の人はその小さな豆に生命力と魔力があると信じていました。
現在も大豆は栄養が豊富な食品として、人々に愛されていますが、昔の人たちの思いを私たちは忘れていないのかも知れませんね。
地元の行事を知ろう!「節分」のあれこれ
豆まきも時代によって変わってきています。
かつて豆まきは子どもだけの行事ではなく、豆を撒くのは家長である父親の役目でした。
現在父親は鬼の面をかぶって、豆まきの盛り上げ役になっていることもありますが、本来は責任を持って鬼を追い払うのが仕事でした。
また豆は撒く前に、枡に入れて神棚に供えておくものでした。
これも現在、やっている人はあまりいないかも知れませんが、神棚に供えておくことで豆の威力が増すと信じられていました。
節分の日には恵方巻きを食べるのが、いつの間にか一般化しました。
テレビのコマーシャルや広告で大々的に宣伝をしているからですが、節分の日に食べるのは恵方巻きだけとは限りません。
節分にイワシを食べる地域が多いのですが、これはイワシの匂いを鬼が嫌がるからだという理由があります。
イワシの頭と柊の葉を一緒に玄関に飾る風習につながるものがありますね。
もし家庭にお年寄りがいるなら、節分についての話を聞いてみるのも興味深いかも知れません。
自分が住んでいる地域に伝わる風習を知るのは、楽しいものですよ。
「立春」と「針供養」、共通点はスタート!
節分の翌日の立春には、立春大吉という御札を玄関に貼る風習が今でも残っています。
これは鬼の目を騙すための御札で、厄除けのために1年間玄関に貼っておきます。
お寺から頂く場合が多いのですが、自分で書いて貼っても効果があるそうです。
また立春大吉豆腐や立春大吉餅を食べて、体の中によい力を取り入れることも昔から行われています。節分に悪い気(鬼)を追い払ったら、
立春にはよい気を取り入れることで無事に1年のスタートを切れそうです。
ほかに2月の行事で歴史があるのは針供養でしょう。
針は裁縫に使う道具ですが、2月8日には裁縫を休んで針を休ませ、折れたり欠けたりして使えなくなった針は豆腐やこんにゃくなどの柔らかいものに刺して、供養するという行事です。
針供養は関東では2月8日ですが、関西では12月8日です。この日程はどちらも農作業に関係していました。
2月8日は事始め、12月8日は事納めで1年間での農作業を始める日と終わる日だったということです。
この日は両方とも神聖な日で、静かに過ごすべきだとされていましたから、農作業も裁縫も休んで、針供養を行ったと考えられます。
また針供養の日は、針を供養するだけでなく、裁縫の上達を神様に祈る日でもありました。
現在は日常的に裁縫をする人は少なくなりましたが、職業として針を扱う人の間では針供養はまだ深く定着している行事です。
洋服1着を仕立てるわけではなくても、ボタンが取れたり、ちょっと裾上げが落ちたりしたときに、やはり針と糸は欠かせません。
2月の針供養を一度見直してみるのもよいのではないでしょうか。
二十四節気には立春の次に雨水という節気が巡ってきます。
この雨水も、農作業の準備を始める目安になるという意味が込められています。
2月は、1年で最も短い月ですが、その短い月の中に、様々なスタートが設けられているのは興味深いことですね。
本当の「如月」の主な行事はコレ!現在もお馴染みの「春分」!
本来の如月(旧暦の2月)の主な行事は春分です。
現在は3月21日頃が春分の日として国民の祝日になっています。この日は昼と夜の長さが同じになることで有名ですが、昔の人は、冬の間は短かった太陽が出る時間が、徐々に増えて、夜と同じ長さになることに神秘的なものを感じていたようです。
だから春分は、自然や祖先の霊など、大きな存在に感謝する日だと捉えられていました。
そのよい例がお彼岸で、先祖の墓参りに出かける習慣は今もなお続いています。
二十四節気での春分は春の最中とされています。
春の心地よい空気を味わいながら、昔の人の気持を捉えた春分について考えてみてください。
もとは二十四節気だった春分が秋分とともに、祝日として現在の暦に残っていることが奇跡的にも思えてきます。
そして、なぜ昼と夜の長さが同じになる日に、先人たちが先祖霊の供養をしてきたのかと考えると、春分という日の価値が見えてくるかも知れません。
まとめ
今回は「如月」について解説しました。
如月は、本当は現在の2月の別名ではないことや、実は中国から漢字を借りてきただけだったことなど、意外な事実を知ることができました。
また、昔の人が「きさらぎ」に込めた意味も知ることができました。
明治になるまでは、きっと常識だったことが今は忘れられそうになっています。
私たちが伝えていけるとよいですね。
また本当の意味での如月の行事、春分についても説明しました。
春分の大切さがわかりましたから、
次回の春分の日にはいつもと違った気持ちで過ごせるでしょう。
2月は如月と、暗記をするよりも、こうして如月の意味を知ってみると、決して忘れないような気がします。