秋から冬にかけて店頭に並ぶ和菓子に栗きんとんがあります。正月のおせち料理に必ずといってよいほど見かけるのが「栗きんとん」ですが、「おせち料理に入っているということは縁起物なのかな?」と疑問になることはありませんか。今回は、伝統的な和菓子である栗きんとんの発祥や歴史、おせち料理にはいっている意味などをお伝えします。
栗きんとんとは?
暑さが和らいでくる頃に待ち遠しい季節の和菓子といえば「栗きんとん」ではないでしょうか?
栗きんとんには「栗きんとん」と呼ばれるものと「栗金団」と呼ばれるもの、実は二つの栗きんとんがあることをご存じでしょうか?
前者の「栗きんとん」は京都では「栗茶巾(くりちゃきん)」岐阜の美濃東部では「栗金餡」とも呼ばれ、秋になると和菓子店に並ぶのを心待ちしている人も多い、毎年9月ごろから販売されるようになる季節の和菓子です。栗の皮をむき砂糖を加えて煮たものをつぶして裏ごします。裏ごしをした栗を茶巾でしぼり栗の形に仕上げたもので、栗本来の風味と味を生かした、とても上品な味わいのある、栗を収穫できる時期が旬のお菓子といえます。
後者の「栗金団」とは、栗だけを用いるわけでなく、時には栗の代わりとしてサツマイモを材料として用いることもあるお菓子です。前者の栗きんとんと比べてみると、栗だけでなくサツマイモを使用することも多くあるため、栗本来の味を感じには物足りないともいえます。栗金団は、お菓子の色を黄金色にするためにクチナシを使用することもあります。強めの糖分で粘り気が強いあんを栗にからめたとても甘みの強く、おせち料理の中には必ずといってもよいほど入っているお菓子です。
このように栗きんとんの和菓子は同じ呼び名ではあるものの、材料も味も異なる二つの和菓子があることを理解している人は思いのほか、少ないのではないでしょうか。
栗きんとんの歴史
小さい頃から見かけることの多い栗きんとんですが、日本ではいつの頃から食べるようになったのか?気になっている人もいるのではないでしょうか。
栗きんとんの歴史について調べてみると、古くは室町時代の文献に「栗金団」としての記載があります。室町時代の栗きんとんに関して材料や作り方などの記載はなく、当時のはっきりとした材料や作り方は分かってはいませんが、現在でいう栗金餡に近い、栗のあんを丸めてお菓子にしたものがと考えられています。
しばらくして、時は江戸時代の後期にあたる頃、「貞丈雑記(ていじょうざっき)」に記された内容には、中から砂糖が飛び出すお菓子として栗きんとんに触れてあります。「食べると中から砂糖が飛び出すお菓子」として表現が記されてる江戸時代の栗きんとんは、少なくとも現在の栗きんとんとは違うタイプのお菓子であったようです。
さらに時代が進んで明治時代には、水と砂糖をじっくりと煮詰めてつくったあんを栗で包むように作られるようになりました。明治時代に作られていた栗きんとんの材料は、金時芋をあんとして使うのが一般的でしたが、時として紅芋や紫芋といった変わり種の材料を用いることもあったようです。ようやく明治時代のころから、現在の栗きんとんに近い作り方になりました。
このように室町時代に始まった栗きんとんの歴史は、材料も作り方も変化をしながら現代の形に変化したと考えられます。
栗きんとんの意味
「栗きんとんに意味なんてあるの?」と疑問を抱く人もいるかもしれませんが、古くから縁起のある和菓子として扱われていました。
現代ではお金に関して縁起がよいとして、「商売がうまくいきますように」「一年を豊かに過ごせますように」といった願いをかけ、正月のおせち料理のなかにはかかせない和菓子になりました。
その昔日本では、山の幸の代表格として扱われていた栗は、とても貴重な食べ物でした。貴重な栗の実を乾燥されて臼でついた栗のことを当時の人々は、「勝ち栗」と呼んでいました。
武士が戦いに出る前の日に、「勝ち栗に転ずる」として食べられたのが「勝ち栗」で、戦いでの勝ちを願い縁起を担いで食べた意味のある食べ物が「勝ち栗」の存在でした。
また江戸時代の初期には、栗はおめでたいものとして食べられていたとされます。
現代ではあまり珍しいものではなくなった栗と砂糖ですが、昔はとても珍しい食べ物であったため、珍しい食材を二つも使った栗きんとんはそれは貴重な食べ物でもありました。
いつしか栗きんとんの色が黄金色であることから、「きんとん」を漢字にあてはめて「金団」と書くようになり、栗きんとんがお金を思わせる黄金色であることから金塊や小判に例えられたのです。金塊や小判は商売を世間の人々はもちろんのこと、商売を営む人にとって大切なことから商売繁盛への願掛けへとつながったとされています。
栗きんとんの発祥はどこ?
栗きんとんの発祥の地は、岐阜県の中津川市が始まりと考えられます。岐阜県の中津川市や恵那市で採れる栗は、ほかの地域で採れる栗よりも質の高いと言われ、生産量こそ少ないものの、とても良質な栗の産地です。
昔、岐阜県中津川市にあった長津川宿を中心とした宿場には、多くの歌人・俳人が集まる場所でもありました。粋人である歌人・俳人たちの間で人気であったのが、栗を使って作られたお菓子の栗きんとんでした。当時、粋人であった人たちの話題は次第に世間の人々の間でも知られることとなったのが栗きんとんの始まりです。
秋から冬にかけての栗きんとんの時期がくると、遠方から中津川市まで栗きんとんを買いに出かける人もいるほど、人々の舌を魅了するほどです。全国に販売されている栗きんとんのほとんどが、九州産などの岐阜県以外が産地の栗を使ったものがほとんどなので、純粋な岐阜県産の栗を使った栗きんとんがいかに貴重な和菓子であるのか分かります。
現在でも一部の地域では、9月9日に「重陽(ちょうよう)の節句」を設けています。重陽の節句には栗の節句として、栗のご飯を食べたり栗餅を食べたりしてお祝いをするようです。また中津川市では駅前に「栗きんとん発祥の碑」があり、栗きんとんに感謝して神事を行っており、通行人に数百個におよぶ栗きんとんを振舞っているそうで、栗きんとん発祥の地の粋な計らいともいえます。
おせち料理に栗きんとんが入っている理由
おせち料理の中には必ずといってよいほど栗きんとんが入っていますが、それもそのはず、栗きんとんは縁起物としておせち料理に欠かせない存在なのです。
正月のおせち料理に入っている食材の多くは何かしらの意味のある縁起物が使われており、栗きんとんもそのひとつで、縁起物のひとつとして用いられています。
ひとつは、栗きんとんの黄金色に輝く色を財宝に例えたことから「1年を豊かにすごせますように」の願いを込めたとされる説があります。そのほかにも、栗きんとんの黄金色を金塊や小判に例え、1年の始まりであるお正月にその年の財運や金運・商売繁盛をもたらす食べ物としても定番の和菓子です。
栗きんとんの「きんとん」の部分を漢字で表すと「金団」と書くことから、「金の布団」「金の団子」といった捉え方もあります。「金の布団や団子といったもの」=「蓄財につながる縁起のあるもの」としても扱われることから、縁起物としておせち料理に仲間入りしているようです。
昔の人々にとって、材料に使われる栗と砂糖はどちらも大変貴重なものであったことからも、現在でも縁起のよい食べ物と考えられる要因のひとつといえます。
現代では、おせち料理に縁起物として用いられる場合の栗きんとんの主な意味合いは、勝負運向上・商売繁盛・金運向上・財運向上などですが、多くの人は縁起等はあまり考えずおいしい料理の一つとして見ている人がほとんどかもしれません。
まとめ
栗きんとんは全て同じ和菓子と思われていましたが、実はタイプの違う二つの栗きんとんの存在があることを分かりました。ただなんとなく甘い和菓子として入っていると思われていたおせち料理の栗きんとんにも、実は大切な願いを込めた縁起を担いでいたのです。秋から冬にかけてのこの季節、栗きんとんを食べる機会があったときには、栗きんとんに込められている意味や縁起などを頭に浮かべながら食べてみると、これまでと違ったおいしさを味わえるかもしれません。